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「最強のふたり」の感想。"最強"と呼べるパートナーがいるのは幸せだ!

2011年のフランス映画「最強のふたり」を観た。

最強のふたり (字幕版)

最強のふたり (字幕版)

かつての事故で首から下が麻痺してしまった大富豪・フィリップと、彼の介護係として採用されたスラム街出身の若者・ドリス。交差するはずのなかったふたりの人生が、ほんの気まぐれから重なり合い、そこに不思議な友情が生まれていく。

映画を観終わってからあらためてタイトルを口に出してみた。

最強のふたり。

「最強」と言いつつ、劇中でなにか敵とのバトルがあるわけじゃない。スポーツの大会で1位を目指す話でもない。異種格闘技人類最強決定戦、とは意味が違うのだ。

ここでの「最強」は、誰かと一緒にいるときの高揚感、そして万能感という意味である。

フィリップとドリスは、経済的な生活環境こそ異なるものの、性格はよく似ている。ふたりとも自信にあふれ、ユーモアのセンスと行動力があり、思ったことははっきり口に出す。音楽を好むところも同じである(フィリップはクラシック好き、ドリスはアース・ウィンド・アンド・ファイアーのファンだが)。

要するに相性がめちゃめちゃいいのだ。

ふたりの人物の友情を描いた物語というと、どこかで決定的な対立が生まれて仲違いし、また仲直りして友情が深まるといった展開がお決まりとしたものだが、「最強のふたり」にはそれがない。最初から最後まで仲良しのまま。途中でドリスが介護係を辞めさせられる場面はあるものの、それはフィリップの思いやりから出たもので、ドリスもそれを理解して受け入れている。

一緒にいるだけで楽しい。人生が輝いて見える。このふたりなら、きっとなんだってできるに違いない。傍目からはある種の錯乱に見えるかもしれないが、世の中にはそういう出会いが間違いなく存在する。そんなとき、当人は自分たちのことを「最強」と感じるのだ。別に誰とも戦うわけじゃないのにね。

「最強のふたり」の原題は Intouchables、英語で Untouchable という。手出しできないとか、触れることすらできない、といった意味だ。そのまま日本語にすると「危ないふたり」とでもなってしまいそうなタイトルを、本来の意味を活かしながら実に上手く訳した邦題だと思う。

パリ市内を猛スピードでかっ飛ばすスポーツカー。警察を煙に巻いて、子供のように笑うフィリップとドリス。カーステレオから「September」が流れ出す。短い人生の中でほんの一瞬だけでも、最強と呼べるパートナーに巡り会えたなら、それはとても幸せなことだ。

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